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能登半島地震
被災地支援ボランティア活動




 

ページ内目次

  • 「写経木札お守り」製作
  •  《写経木札お守り》
  •  能登半島地震被災寺院由来の木材を利用して「お守り」づくりを始めています。
  •  おかげさまで、次第に申し込まれる方が増えてきました。一人で同じものを10体作ってほしいという方もいらっしゃいました。また、先日は香川県の真言宗寺院のご住職が郵送で申し込んでくださいました。「中外日報」をご覧になって知ったとのことでした。(『中外日報』は、京都府京都市南区東九条東山王町に総本社を置く中外日報社が発行する宗教専門紙)
  •  材料とするのはこのような木材です。
  •  千光寺の梁や折れた丸柱のケヤキ 
  •  金峰寺の梁のケヤキ
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  • クリックして拡大できます。
 
  •  片面には、それぞれの方が思いや願いを込めて書いた写経をレーザー彫刻機を使って刻字しています。写経だけでなく、写仏したものも彫ることができます。大きさは8×4cm、厚さは約5mmです。世界に一つだけの「お守り」ができあがります。くわしくはこちらの郵送用申込書をダウンロードしてご覧の上、お申し込みください。日本中どこからのお申し込みでも受け付けています。
  •  群馬県13教区では、毎年秋に会場と内容を変えて「寺院に親しむ講座」というものを開催しています。令和7年は、11月24日、富岡市永隣寺を会場に「寺院に親しむ講座」を開催したところ、35名が参加してこのような木札のお守りを作りました。



  • 令和7年 第4回珠洲市・能登町での支援活動
  • 令和7年11月下旬、能登が冬を迎える前の時期に、群馬12・13教区より曹洞宗僧侶8名と一般の支援者2名が参加、 第4回支援活動を行いました。
  •  今回の活動の一つは、群馬県富岡市内の支援者から提供された鉄骨造りの頑丈な約3坪の建物1棟と、スチール物置3台を運搬し設置することでした。
  •  珠洲市の千光寺や金峰寺は、公費解体により本堂その他全壊した建物は全て撤去され更地になりました。そのため「屋根のある建物が一つも無くなってしまった」との現地からの切実なご連絡を受けてのものでした。
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  •  1日目、朝6時に群馬を出発して午後3時過ぎにようやく到着。千光寺でこの建物をユニックからクレーンで降ろして、日が暮れる頃に据え付けが終わりました。真ん中が千光寺住職、その右が在家協力者の尾高さん、左が同じく浦野さん。やはりこうした運搬や作業は専門の方でないとできません。本当に助かりました。金峰寺・萬福寺にも、小さいスチール物置を設置しました。
  •  2日目は、千光寺・金峰寺において、三回忌予修慰霊法要とお守りの開眼祈祷法要を行いました。
  •    千光寺での法要
  •    金峰寺での法要
  •  曹洞宗石川県宗務所副所長老師をはじめ、石川県の曹洞宗寺院の皆さんが多く随喜してくださり、にぎやかに法要ができました。梅花流御和讃が奉詠される中、かつて本堂があった方向に向かって、檀家の皆さんにお焼香していただきました。
  
  •  千光寺・金峰寺それぞれのかつての本堂の梁や柱から群馬県の僧侶が手作りしたお守りを住職から檀家さんに渡しました。 
  •  法要を挟んで建物の内装作業を行いました。ユニックで運ぶためには、少しでも軽くということで、床や壁などの作業はしてありませんでしたので、短い時間での現場作業となりました。
  •  寒い冬に備えて断熱材を入れ、板を貼りました。千光寺住職だけでなく、金峰寺住職も完成までずっと手伝ってくださいました。
  • 内装完成。寺務所その他有効活用していただけそうです。
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  •  萬福寺では備品の移動・整理をいたしました
  •  またこんなにたくさんのケヤキの梁を千光寺から運びました。能登支援のため、色々なものの製作に利用させていただきます。
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  • 令和7年 第3回珠洲市・能登町での支援活動
  •  第3回能登支援活動は、群馬12・13教区より12名、福井より 1名が参加し、令和7624日から27日までの4日間、奥能登の曹洞宗千光寺と萬福寺にて行われました。


     珠洲市の千光寺の本堂・庫裏は昨年公費解体が入り、更地になっていましたが、荒れ果てた墓地は未だに手つかずの状態でした。お盆前に何とか整備したいという住職の希望もあり凸凹になったコンクリ舗装をはがし、砕石を敷く作業をしました。







     海に近く砂地のせいか、地震の時には液状化現象がおこり、墓地の通路のコンクリートは大きく波打ち、墓石はことごとく倒されたのでしょう。地下水面が高く、砕石を敷いて圧をかけようとすると液状化してしまう箇所も多くあり、今後の復旧も大変だと感じましたが、大勢の力のおかげで何とかお墓参りができるまでに整備することができました。



     群馬から搬送した重機を使って通路をふさぐ墓石を移動したり、余分なコンクリート瓦礫を搬出したりしました。


     能登町の萬福寺での活動は雨の中でしたが、地震で傾き倒壊の可能性がある土蔵に江戸期からある仏具を搬出する作業を行いました。危険を伴う作業でしたが無事に綺麗に整理することができました。






     最終日には消失した輪島朝市地区を訪れました。すでに更地に雑草が生い茂っていてどこが火事になったか見分けがつきませんでした。
     全焼した曹洞宗蓮江寺跡地にて、般若心経お唱えしました。


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    年半経った能登全体の状況を見ると、能登里山海道には多くの作業者が入ってはいるものの、依然として迂回を繰り返し デコボコした道をひたすら走る状態です。家屋に関しては解体 もかなり進んでいますが、ライフラインがいまだに復旧していないところがあります。人の手の入っていないところも多く残っているので今後も支援活動を継続していきたいと思っています。(12教区長)


令和6年 第1回珠洲市・能登町での支援活動
 令和6年1月1日の発災から半年以上経ったにもかかわらず、奥能登地域では倒壊建物の一部しか解体が進んでいません。
 この地震で安中市の桂昌寺と住職同士が縁のある珠洲市内の「千光寺」の本堂・住居等が全壊、その瓦礫運び等のボランティア活動に行ってきました。12教区の安中市、13教区の富岡市・甘楽郡を中心に群馬県内曹洞宗寺院から15名、福井・滋賀など県外からの参加者もあり、7月8日より移動も含め5日間活動を行いました。
 群馬県から約9時間の道のりですが、2台のダンプに1台ずつ重機を載せて、さらに数台の車に分乗し、まだ全面復旧していない道を進みました。
 珠洲市に到着し、千光寺では倒壊した位牌堂・開山堂の瓦礫を種類ごとに分別してダンプや軽トラックに積み、集積場所に運ぶという作業をしました。


 2トンダンプに1台ずつ重機を積んでいます。重いので、さすがにスピードは出ませんでした。この後登場する岩崎師のおかげで、高速代金が無料になり助かりました。


 建物の瓦礫は、様々に分別しなければなりません。土壁の中に使われていた竹は、木材として出せないため、一本一本手作業で取り除きました。



 ダンプに載せられないような長い木材はチェーンソーでカットしました。


 千光寺の位牌堂・開山堂も全壊してしまいました。これは全壊した瓦礫の中から取りだしたケヤキの丸柱です。大きな力がかかり、真ん中から折れてしまっています。何か仏具に再生できればと、千光寺様からいただいてきました。



 福井からの隊員が持ってきてくれたアームロールという運搬機です。たくさんの瓦礫を一気に積み込むことができました。


 群馬県から運んだ重機による作業の様子。
 クリックすると、動画が再生されます。



千光寺のドローン映像はこちら


 
 本堂は全壊しましたが、たくさんの仏像や位牌が救出されていました。そのクリーニング作業をしたり、仮設の物置を作ったりと、私たちの力でできる範囲のお手伝いをさせていただきました。


 仏像や位牌のクリーニング・整理作業のようす。こうしたたくさんの仏像や位牌を見ていると、この地域に昔から住む人たちの信仰心の深さを感じました。


 
 陽雲寺から提供された材料を活かして、仮設物置が作られました

 
 千光寺での今回の活動の最後として、完成した仮設物置の中に参加者の思い思いのメッセージを残させていただきました。

 この後、能登町の「萬福寺」でお手伝いさせていただきました。お寺の奥様が、お盆が来るというのにお墓の仏様がかわいそうとおっしゃっていましたが、そのお墓に覆い被さってしまっていた建物の解体・撤去作業を行いました。


 傾いた回廊部分の崩壊にも注意しながら作業しました。
この活動が上毛新聞に掲載されました(web版 こちらから)


 回廊床下のこの狭いスペースから手作業で瓦礫を運び出しました。


 回廊この時の作業では回廊のは傾いたまま残ってしまいましたが、これだけ片付きました。また、多くの墓は墓石が倒れたり傾いてしまっていて、その完全復旧には相当な時間がかかります。

 こうした作業は重機ばかりではできません。雨の中を泥だらけになりながら、釘などに注意しての危険な手作業も多くありました。
 
 また、遠く熊本県から軽トラで移動し、現場で重機を操る神照寺住職岩崎哲秀師の力もありました。岩崎師は、数年前の熊本豪雨の被災者だそうです。その時に多くのボランティアに助けられた経験から今度は自分が恩返しをしたいと、災害が発生すれば全国どこでも駆けつけ、能登でも発災直後から活動しているスーパーボランティアでした。


 軽快に重機を操る岩崎哲秀師


 私たちは、片道9時間かけて奥能登まで行き、泥だらけになったにもかかわらず、ほんのちょっとしか現状を変えられず、自分たちの力のなさを感じました。
 復興にはまだ相当の時間がかかります。しかし、もっともっと多くの人が被災地のことを忘れずに、何かしらの手を差し伸べ続ければ、少しずつでも必ず変わっていくと感じました。
 今回の活動で色々な人と出会い、多くの貴重な体験や学びができたことに皆感謝して帰路につきました。
 


第2回珠洲市・能登町での支援活動
 令和6年7月の第1回活動でやり残した作業がありました。また、作業ができなかった寺院もありましたので、第2回を企画し、令和6年9月4~6日の前半組、10~12日の後半組に分かれての活動となりました。
 さらに、9月23日には、間もなく公費解体が始まる千光寺で行われた法要に参加しました。

《第2回前半組の活動》
 9月4~6日、群馬県第12教区・13教区からの9名に、福井2名滋賀1名が加わり、能登町の萬福寺、珠洲市の金峰寺で作業させていただきました。

 今回も協力者からお借りした2tダンプに簡易ツカミ(ショベルハンド)のついたミニユンボを載せ、北陸自動車道~能越自動車道を経て能登へ。七尾市あたりからだんだん道が悪くなってきます。でも今回は、のと里山海道が対面通行できるようになり、だいぶ便利になりました。


 まず、向かったのは能登町の萬福寺。亀裂が入り道路側へ傾いた危険なブロック塀の撤去を開始しました。


 群馬から搬送したミニユンボ。簡易ツカミ(ショベルハンド)で解体していきました。

 鉄筋は手作業で切断し、重機と手積みで、ダンプや軽トラに積み込み集積場所に運びました。


 こんなにおしゃれな仮設フェンスができました。萬福寺の奥様にも喜んでいただけました。


 珠洲市の金峰寺に移動したグループは、「大般若経」の救出を始めました。手作業で重い瓦を剥がして屋根を軽くし、ユンボで垂木ごと屋根を持ち上げ、空いたスペースから「大般若経」を運び出しました。


 救出した600巻の「大般若経」。これも寺の宝です。一部濡れたり、箱が破損したりしたものがありましたが、放って置いたらどんどん悪くなってしまいます。ある程度でくい止めることができました。

 
 7月の活動の時にいただいて持ち帰った「千光寺位牌堂の折れたケヤキの丸柱」を、13教区の永隣寺住職が加工して如意(にょい)と笏(こつ)という法具を制作しました。さらに14教区の廣澤寺住職が刻字し、この日の夕食会の席において、千光寺細川哲心住職にサプライズで贈呈しました。歴代住職はじめ多く檀信徒の様々な思いが詰まった建物が壊され、処分されるのはあまりにも悲しいことです。後世まで使えるものとして残せればという思いから作られました。


 左が笏(こつ)、右が如意(にょい)。
 笏には「遠く離れていても心はつながっている」という意味の「千里同風」という禅語が彫られています。右の如意には、裏面に「千光寺」と彫ってあります。
 この活動が上毛新聞に掲載されました。


 萬福寺の立派な本堂内に上がらせてもらいました。あちこちが傾き隙間や段差ができるなど、地震の傷跡がそのまま残っており本当にお気の毒でした。作業中でしたので作業着のままで失礼させていただき、13教区長が導師をつとめ、本尊上供の般若心経を読経させていただきました。


 さらに、萬福寺では、昨年7月に遷化された先代住職及び、今年1月に遷化されたご住職のご供養のために読経・焼香させていただきました。度重なるご不幸で、奥様もさぞ大変であろうと思いました。


 2日目から3日目、金峰寺開山堂の位牌の救出等を行いました。本堂と同じで、屋根は材も新しくしっかりしていますが、柱と壁部分が倒れ、狭い隙間に入って作業しました。手前右は金峰寺ご住職。


 墓地ではほとんどの墓石が倒れており、地震のすさまじさを実感しました。すべてを元のように直すのには、膨大な手間と時間が必要かもしれません。
 今回は重機の侵入経路確保の必要がある場所など、一部の墓石を積み直すに留めさせていただきました。


 金峰寺本堂の須弥壇付近。左に見えている重厚な須弥壇には柱や天井、梁などがのしかかっていましたが、潰れずに残っていました。この最上部に祀られていた御本尊のお釈迦様は、お体や光背などは見つかったそうですが、頭部だけどうしても見つからなかったのだそうです。最後の作業として私たちも探しましたが見つからず、心残りとなりました。


 今回の作業を終えて。真ん中が金峰寺さん、その右が千光寺さんです。
 ほんの少ししかお役には立てませんでしたが、常に被災地のことを忘れず、必ずまた何かのお手伝いをしようという気持ちをもって各自帰山しました。


《第2回後半組の活動》
 
9月10日~12日、群馬県第12教区・13教区に加え、2教区・8教区からも参加し、11名(寺族の女性1名と花のアライ様1名を含む)に、中外日報の奥西記者が加わって活動が行われました。

 後半組は強力です。何と重機を4台搬送し作業をすることとなりました。


 能登町の萬福寺。本堂同様に立派な鐘楼堂なのですが、地震でその回廊が大きく傾き、一部は完全に倒れていました。傾いたままでは大変危険でした。倒れた部分は7月の作業で撤去しましたが、傾いた側に墓地もあり難易度が高く、撤去できないままの状態でした。


 後半組の猛者たち。真ん中に紅一点寺族女性もいますが、どうぞお手柔らかに、安全にお願いします。


 解体のために切り離す部分の縁切りが必要でした。
 作業中もいつ倒壊するか分からないため、反対側に引っ張って倒れないようにしておき、瓦をはがして縁切りの作業をしました。


 重機を使って引き倒す手段をとりました。
 実際の動画はこちらです。


 屋根瓦を手作業で一枚一枚どかし、分別してダンプに積み込み撤去しました。


 この後は、重機部隊の活躍で、解体もどんどん進みました。
重機による解体・積み込みの動画


 回廊解体撤去後のようす。

 別の角度から撮影した作業前後の様子。


 半年の間には境内も草木が茂ってしまっていました。こうした部分は手作業が必要でした。


 中央は萬福寺の奥様、右端が金峰寺さん、2人目が千光寺さん。作業したみんなで記念撮影。カメラマンは中外日報の奥村記者? 無事に難易度の高い作業を終え、安堵感が漂っています。


 ドローン隊は守禅寺さん(珠洲市馬緤町)の裏山の土砂崩れの調査と伽藍の被災状況を視察、臨済宗の吉祥寺さん(珠洲市若山町)の屋根の調査と伽藍の被災状況を視察してきました

守禅寺裏山のドローン映像はこちらから

 守禅寺では裏山の土砂崩れは少し距離があり、直ちに影響があるとは言えない状況でしたが、堂内はひどい状況で、須弥壇の崩壊は初めて見ました。



守禅寺本堂内外のようす。堂内は須弥壇が崩壊し、めちゃめちゃになっています。

吉祥寺の屋根のドローン映像はこちらから


 歪んでしまった吉祥寺本堂には正面から補強が入っており、公費解体か歪みを直して修繕していくのか迷っている状況にあるそうです。

 完全に倒れてしまっている山門

 吉祥寺では、庫裏の屋根にブルーシートをかけてありましたが、何らかの影響で剥がれており、雨漏りがしている状況、又、鴨居が2つに折れているのを見た時は驚きました
 まだまだ復旧には程遠い寺院が沢山あることと思います



《千光寺解体前の法要》
 ちょうど秋の彼岸の最中に、秋雨前線が活発となり、能登で線状降水帯が発生、輪島市・珠洲市・能登町を中心にまた大きな災害が発生してしまいました。
 千光寺は公費解体が始まる前に、伽藍への報恩感謝と工事の安全を祈願するため、参加できる檀家さんを集めて9月23日に法要を行うことが決まっていました。この豪雨災害で開催が心配されましたが、千光寺や檀家さんには大きな被害がなく、何とか道路も進むことができるということから開催が決まり、群馬からも予定どおり2名が随喜しました。


 耐震補強されていたこの本堂昇り口の向拝部分や一部の壁だけは残っていますが、後ろ側の本堂や庫裏などは全壊しています。
 この場所に祭壇を設け、これまでの報恩感謝と今後の工事の安全を祈る法要の準備が行われました。
 

 導師をお勤めになり、法語を唱える細川哲心住職。これまでの歴代住職や檀信徒によって守られてきた堂宇が、大地震により一瞬で瓦礫と化したことへの無念、伽藍を再興しなければという決意、被災した人たち想う心、色々な気持ちが入り交じっていらっしゃったのではないかとお察しします。


 
倒れた本堂に向かって焼香する檀家の皆様。長い間慣れ親しみ、思い出がつまった寺がこのような姿になってしまい、さぞや悲しい思いで合掌されたことと思います。


 
千光寺梅花講で御詠歌をお唱えしていた方も多く、テントの下で「三宝御和讃」などをお唱えになりました。
 また、祈祷のお経が読経される中、住職が大般若理趣文経を皆様の体に当て、今後の健康や幸福などを祈りました。


 千光寺細川住職を中心に記念撮影。今回群馬県から代表として出向いてくれた左端が久昌寺住職、2番目が海雲寺住職です。久昌寺住職は、法螺貝を持参し秋風に音色を響かせ、また、持ち前の明るさで、場を和ませてくれたということです。海雲寺住職は、豪雨災害被災者のために水・カップ麺・簡易トイレなどをタイムリーに多数届けてくれました。
 笑顔も見られますが、何年か後にはもっともっと笑顔が満開になるといいですね。大変な困難があると思いますが、群馬からいつでも皆さんのことを想っています。頑張ってください。

 



「能登七福神霊場巡り」
御朱印台紙を代理頒布しました。(令和6年3月~4月)


 能登地域では、2007年に発生した能登半島地震の際に大きな被害が発生しました。「能登七福神霊場巡り」は石川県の七尾市・羽咋市・志賀町の7ヶ寺を巡って御朱印を集める企画で、その時の地震の復興支援として始まったものだそうです。

 今回の地震は前回の規模をはるかに上回る大きな被害をもたらしました。この霊場巡りの7ヶ寺のうち、1ヶ寺は全壊、残り6ヶ寺も半壊の被害を受け、現在この活動はできない状況です。
 写真は被災した寺院の被害状況の一例です。

   
   


 群馬県富岡市から七尾市の海門寺という曹洞宗寺院に嫁いだ奥様とのご縁から今回の企画がスタートしました。群馬県の富岡市・安中市・甘楽郡をはじめ、群馬県の他の地域、さらには長野県・埼玉県にまで参加寺院が広がりました。

 色紙に寺院ごとにまつられている七福神の尊名と寺院名が書かれた台紙を下記の寺院で代理頒布しました。募金を含め1枚700円以上の志納金での頒布しました。この志納金は、復興支援のために現地におくられました。

 この台紙をお求めになった方には、受け入れ体制が整ったらぜひ現地に行ってほしいと伝えてきました。

 令和6年9月末に「能登七福神霊場会」からお手紙をいただきました。発災以後休止していた御朱印受付を順次再開しているということです。
 ただ、全壊状態の長齢寺は大黒天様を海門寺へ、倒壊の恐れのある東嶺寺の恵比寿天様は青林寺へそれぞれ遷座し、10月途中から遷座先で御朱印に対応する予定であるとのことです。
 前記の色紙台紙をお持ちの方は5つのお寺を巡って7つの御朱印を押していただけるようになります。
 新たに色紙がほしいという方にはサイズの大きい金色紙(直書き)を準備中とのことです。
 ただ、現在はまだまだ仮復旧中の活動です。各寺復旧復興作業等で不在のことも多いため、もし出かけるなら事前に連絡をいただきたいということです。
 また、本復旧した段階で連絡をくださることになっています。復旧の様子を見ながら、安心できる段階で出かけていただくのでよいと思います。
 


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・上毛新聞で紹介されました(web版)
・東京新聞で紹介されました(web版)




「笏」づくり 
 全壊してしまった珠洲市の千光寺さん、金峰寺さんの折れた柱や梁をいただいてきて、11月下旬に「笏(こつ)」づくりを行いました。「笏(こつ)」とは、曹洞宗僧侶が法事や法話をするときに用いる法具です。

  •  能登半島地震被災地支援活動で実際に現地に行った人たちに声をかけたところ、17人が集まりました。
  •  ケヤキの角材に切断するラインを下書きし、細い刃のバンドソーで曲線をカット。笏の微妙な曲線もこれを使えば、きれいに切れます。
 曲線が切れたら、ベルトサンダーやディスクグラインダー等で形をある程度整えます。その後は、ひたすらサンドペーパーで磨きます。
 それぞれが工夫して個性豊かな形にしていました。だんだん形が整い、完成したときの形が見えてきます。(朝から始めて、この頃には薄暗く、また、寒くなってきていました。)
 均等にピカピカに磨いたら、最後に摺り漆か自然ワックスを塗りました。摺り漆を塗り込むと、ケヤキ特有のきれいな木目が現れます。感動の瞬間です。
 こんなにたくさん素晴らしい笏ができました。

 
 令和6年度群馬県刻字展で委嘱大賞を受賞した都丸史雄師に依頼し、禅語などの文字を堅いケヤキの笏に刻字していただきました。
 このあと、木崎法衣店の清水さんに紐房の付け方を実演や動画等で指南していただき、世界に一本しかない一生物の笏が完成しました。これを握るたびに能登の人たちのことを思い出せます。

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能登半島地震被災地支援活動

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